Yama-bra 20º aniversário page1
当会は今年(2020年)で20周年を迎えます。素人ながら皆様のご協力をいただいて今日まで続けることができました。
20周年を記念して、当会ゆかりのアーティスト、音楽関係者にメッセージをいただいております。
暖かいお言葉、ありがとうございます。こちらで紹介させていただきます(敬称略)。
今後徐々にアップいたしますのでお楽しみに。新しいメッセージが上に来ます。
(ありがたいことにたくさんのメッセージをいただいております。ページを2ページに分けました。→ page 2 へ。)
鈴木ビック健一(馬主/パーカッショニスト)
大変ご無沙汰していますが、石郷岡さんご夫妻の笑顔、
そして打ち上げ会場に銘酒の数々がズラーっと並んだ光景が今でも鮮明に思い出されます。
いつも温かく迎えてくださり、山形で演奏することがいつも楽しみでした。
今、私は東京を離れた地方に住んでいます。
自然と動物に囲まれた生活は本当に豊かで大変エンジョイしていますが、
生演奏に触れる機会が本当に減ってしまった。
時々寂しいなぁと感じます。
「山形には山ブラがあって羨ましいなー」と思う事も結構あるんですよー。
山ブラ20周年おめでとうございます!
織原良次(フレットレスベース奏者/BGA透明な家具)
山ブラ20周年に寄せて。
石郷岡さんご夫妻、山ブラ20周年おめでとうございます。私はBophanaで2006年、2007年と2回、
2011年3月に予定されていた畠山美由紀さんと笹子重治さんとの文翔館での公演は震災で中止となり、2012年に開催され、それが3回目の山ブラ体験でした。
それはそれは濃く、鮮やかな時間でした。
当時の私は20代でいろいろなところにツアーに行けるのが本当に嬉しくて、音楽生活への手応えを感じ始めていた頃でした。特に山ブラ石郷岡さんご夫妻、関係者の方々の丁寧なおもてなしはミュージシャンにとって自己肯定の確認といいますか…
自然体で愛のあるサポートは積み重なると確固たる誇りのようなものに成長していくのだなぁ、と感じています。
きっと山ブラにより多く、より長く関わった方々は素晴らしい性質を纏うのではないでしょうか。
私のBGA透明な家具という活動にもSNSを通じて反応してくださり、長く会うことができていなくてもどこかで繋がっていてくれる、そんな気持ちにさせてもらえる魅力が山ブラにはあります。
素晴らしい方々と共にこの20周年のコメントを寄せさせていただけること、誇りに思います。
どうぞ末永く山ブラにまつわる方々との美しいコミュニケーションが継続していくことを祈っています。
服部正美(音楽家)
山ブラ20周年おめでとうございます。
月日の経つのは本当に早い!
私が初めて山形に呼んで頂いたのが2004年の6月だったと思います、MINASWINGというバンドでした。
確かこの年にバランサでもお邪魔したようだったので二回伺っています。
そしてライブ後の会食がたまらない魅力として記憶に強く残っています。
学さん英子さんの音楽だけにとどまらない趣味の良さに文字どうり「舌を巻いた!」のでした。
その後なかなかお会いできる機会もなく(青山時代のイーリャ・ブランカではすれ違っていますが)今に至っています。
学さんの文章は時々読ませていただいていますが、私にとってはそこらの職業音楽評論家よりもはるかに優れたセンスを感じています。
音楽の本質をどう把握しているか、いわゆる頭でっかちな評論でなくすっと腑に落ちる素晴らしい感性があると信頼しています。
これからもお元気で私たちよりずーっと多くの音楽を聴き、発信し続けてください。
すごく期待しています。
山本勇樹(Quiet Corner)
石郷岡学さん、英子さん、
山ブラ20周年、おめでとうございます!
ご夫妻と初めてお会いしたのは、たしか2009年の初秋でした。当時、会社の先輩だった河野洋志さんから紹介頂き、雰囲気のよい中華料理店でお食事したことを記憶しています。そして、若輩者の自分に対して、とても真摯かつフランクな印象で接して頂いたこともよく覚えています。
その後、幾つか主催されたライブを観に行ったり、蕎麦屋やカフェに連れて行ってもらったり、僕が作ったフリー・ペーパーや本にご執筆頂いたりと、とにかくお世話になりっぱなしです。こうして色んな思い出ばかりですが、一番の印象深い出来事といえば、やはりカルロス・アギーレの初来日公演でしょうか。石郷岡さんと僕たちの悲願が叶った、あの光景は一生忘れられません。
山ブラのバイタリティにはずっとリスペクトし、影響を受けています。これからもよろしくお願いします!
奥山心一朗(CherryMusic主宰)
山ブラ20周年によせて
2004年にレーベルを立ち上げて活動を始めた頃から、「山形ブラジル音楽普及協会」(当時)のお名前は様々な場面で拝見していました。音楽のジャンルは違えども、“音楽不毛の地”である山形で精力的に活動している団体があるのだと、心強く感じていました。ご縁があって石郷岡夫妻と初めてお会いしたのは、たしか2012年あたりではなかったでしょうか。その後、光栄にも2013年haruka nakamura quartet with Imagem『Dialogo』、2015年 haruka nakamura PIANOENSEMBLE『音楽のある風景』で企画に携わらせていただきました。
また、石郷岡さんは音楽だけでなく、映画への造詣も深く、自分が編集を担当している山形ドキュメンタリー映画祭公式ガイドブック『SPUTNIK』にも度々ご寄稿いただきました。
山ブラが山形の音楽文化を向上させたことに間違いはありません。山形県民として、また、友人として心より敬意を表します。
20周年おめでとうございます。これからも末永くよろしくお願いいたします。
吉本 宏(bar buenos aires / resonance music)
山ブラの石郷岡会長ご夫妻に初めてお会いしたのは、忘れもしない2010年4月17日。ブラジルのピエール・アデルニとアレクシア・ボンテンポの山形公演だった。その年の初めにぼくは、音楽仲間の山本勇樹くんと河野洋志さんとともにbar buenos airesという選曲ユニットを結成し、渋谷で選曲会と演奏会を開催していた。山形にブラジル音楽を中心に南米音楽をこよなく愛する先輩がいると聞き、一度ご挨拶しなくてはと、僕たち3人は河野さんのクルマで山形へ向かった。
打ち上げの会場で、僕たち3人は正座をして会長の前に座った。bar buenos airesがアルゼンチンのカルロス・アギーレの素晴らしい音楽をもっと多くの人に知ってもらいたいという思いから結成され、東京では定期的に選曲会を開催していることや、いま僕たちが選曲している音楽のことを話した。手土産には、その選曲会の会場で不定期に配布している「素晴らしきメランコリーの世界」の冊子と、選曲したコンピレーションのデモCDをお渡しした。ぼくたちはまるで遣隋使のごとく、先輩に自分たちの活動についての話をした。そして会長からは山形の地酒がふるまわれた。あれから10年。会長も僕たちも南米音楽、いや世界の音楽を愛する気持ちはお互いにまったく変わっていない。山ブラ20周年おめでとうございます。これからも50周年、100周年をお祝いできますように。
Lica リカ (Bophana Vocal)
yama-bra20周年、おめでとうございます!
初めて山形を訪れたのは、14年前。
緑がとても美しい時期でした。光が輝き、青い空に鮮やかに浮かび上がる山々の輪郭。こんなに緑が美しい場所があるなんて!と心から感動したのを今でも憶えております。
Bophana、ソロと3度お世話になりましたが、いずれのライブ会場も素晴らしく…、高い天井まで続くガラス窓越しに眺めるブルーアワーの山寺をバックに演奏した、山寺風雅の国。 重厚感溢れ、厳か且つノスタルジックな文翔館。 懐かしく温かい空間であっという間に時間が過ぎた蔵カフェの瑳蔵…。
どれもその美しさが心に刻まれ、忘れられないライブとなりました。
そして外せないのは、終演後にお邪魔した台湾你好の美味しいお料理とお母さんの笑顔、吉里吉里の絶品お蕎麦、 cafe Espressoでの癒しの時間、お土産のまめやさんの富貴豆!(至福)
全て“最高“でした。
会長ご夫妻には感謝しかありません。
音楽を通じて、会長ご夫妻、会員の皆様、お客様たちとご縁ができ、山形という地で本当に温かく素敵な思い出をいただけたこと、心から嬉しく思っております。
美しい場所へ音楽を届けることは音楽家にとっては非常に大きな歓びです。
これからも変わらず熱く音楽愛を発信し続け、益々素晴らしいご縁が広がっていきますように。
ご活躍を心よりお祈りしております。
畠山美由紀(シンガー・ソングライター)
山ブラ創立20周年、おめでとうございます。
石郷岡さんご夫婦をはじめとする山ブラメンバーの皆様とお仕事をさせていただく機会に恵まれて、
私の人生はたいへん豊かなものになりました。
忘れられないライブの数々。美しい山形の風景と相まって胸が熱くなります。
久しくお会いできておりませんが、また山形の皆様にお会いできる日を心より楽しみにしております。
どうぞ今後もブラジル音楽や様々な素晴らしい音楽に私たちをお導きください☺
そしてまた皆様と心ゆくまで一緒に呑めますように!
祝!山ブラ20周年!
Aquemi Takahashi (Espresso)
Parabéns pelo vigésimo aniversário!!
私が山形に在住して40年、半分はYamabraといっしょに過しましたね。通訳、翻訳やりながら色々な出会いがあり、Espressoも共に成長しました。素晴らしいミュージシアンたちが全ての参加者に良い思いでを残したことだと感じます。舞台の裏で何時も協力してくれた神保さんも忘れられない存在、スタッフの暖かい御もてなし、そして勿論、石郷岡学さんと英子さんのパワーには心から感謝。
Saúde!!
齊藤功(打楽器奏者/音楽家)
周年おめでとうございます㊗️
harukanakamuraのアンサンブルでは山ブラの皆様には大変お世話になりました!
山形駅を降りた時の空気や、文翔館の素晴らしい雰囲気、打上げでの田舎に帰った様な安心感は、今でも忘れられない思い出です。
何より、山ブラのみんなの笑顔が最高の思い出です。
また必ずお会いしましょうー!
Amo-te!
黄木優寿・黄木可也子(yellowwoods)
20周年おめでとうございます。
2013年「haruka nakamura quartet with Imagem」、2015年 haruka nakamura PIANOENSEMBLE「音楽のある風景」では、奥山心一朗さんのフィールド・レコーディングとともに映像で参加させていただきました。演奏はもちろん、文翔館議場ホールの空間、アトリエセツナ渡邉吉太さんの美しい木製スクリーンも忘れがたいです。ほぼ何の実績もない私たちを大事なコンサートに採用していただき、その後も上映や展示があるたび応援していただいています。なんと心の広い方たちなんでしょう。20年の大海原に小舟(いや、浮き輪かな)を浮かべることができて、幸せです。
アート大福 夢野大福(張子作家)
熊本尚美(ショーロフルーティスト、リオデジャネイロより)
山形ブラジル音楽協会の石郷岡夫妻と知り合ったのは、2000年8月のこと。まだブラジル音楽を「やりたい」と思っていた頃で、リオから来たショーログループの公演を聞きに行った先の白石で。それから私はブラジルと日本の間を行き来するようになり、日本ではギタリスト笹子重治さんに大変お世話になりつつ、ショーロの活動を始めました。そして笹子さんを通じて、山形で「Chorando Aqui」 というタイトルのコンサートを企画開催して頂きました。私の心に強く印象の残るコンサートの一つになりました。同タイトルのワルツを書いて演奏したのも良い思い出です。美味しいものを食べに連れて行ってもらったり、日系ブラジル人の経営するカフェに連れて行ってもらったり、コンサート以外にも至れり尽くせりの対応に、とても嬉しく、そして楽しく思ったのを今でも忘れません。関西人の私に山形はとても遠くてご縁の無い土地でしたが、穏やかで澄んだ空気感が大好きです。当時はまだブラジル音楽活動を始めたばっかりで、日本でのブラジル音楽状況が右も左もわからなかったのですが、今から思えば協会も始まったばかりだったんですね。
あれから20年の月日がお互いに流れたということですね!(恐ろしい〜)その後、私はリオに移住してなかなか山形へ足を伸ばすことも出来ず、お二人にはご無沙汰いたしておりますが、いつかまたお目にかかれる日を楽しみにしているとともに、山形ブラジル音楽協会の益々のご発展をお祈りしています。どうぞお元気でお過ごし下さいませ。
木下ときわ(歌手)
20周年、本当におめでとうございます!
もう10年以上前になりますが、ギターの小畑さんとハーモニカのマツモニカさんとのライブ、そしてDois Mapasとしてもライブでお世話になったこと、ついこの間のことのように鮮明によみがえります。
音楽と人、そして食。いいものを心から大切にされる石郷岡さんご夫妻のまわりには、個性を持った人たちが集まって、山形ってすてきな場所だなぁって訪れる度に感激していました。
これからもブラジル音楽を軸に、豊かな文化を紹介してくださいね。
小池龍平(Bophana, bonobos, LITTLE TEMPO )
石郷岡さん、山ブラ20周年おめでとうございます。
自分の山ブラデビューから早くも15年近く経っていることに驚きです。
最後にお世話になってからだいぶ経ちますが、素敵なライブ会場、美味しい打ち上げから翌日のランチのアテンドまで、楽しい思い出は一生忘れません。
ここのところブラジル音楽の現場からから少し離れてはおりますが、一回り成長して再会出来る日を楽しみにしております。
田仲 昌之(fete musique レーベルディレクター)
山ブラ20周年おめでとうございます!
山ブラさんとは2015年のAOKI,hayatoとharuka nakamuraの公演と2017年のFOLKLOREの公演そして2019年のFOLKLORE&坂本美雨の3回の公演で関わらせて頂きました。
2015年に山ブラさんからAOKI,hayatoとharuka nakamuraの公演のオファーを頂いた時は彼等の活動も走り始めたばかりでしたが山ブラのみなさんにサポート頂き文翔館でのライヴを成功させたことがその後の彼等の活動の足掛かりになりました。
みなさんとお会いする以前から山ブラさんを噂は聞いておりました。「山形で音楽にとてもストイックに向き合う人達が居るらしい」とw
実際お会いした山ブラの皆さんの印象は音楽に造詣が深く、アーティストをリスペクトし山形と言う土地をとても愛している人達でした。
今後も山ブラの皆さんの活動を楽しみにしております。
そしてまた皆さんと打上げの席で美味しいお酒がご一緒出来たらと思っております。
山ブラ20周年おめでとうございます!
ラジオ番組で、会長とご一緒させて頂いたのがご縁で、今までは未知の世界だったブラジル音楽に触れられた
事は、わたしにとって、音楽の幅が広がったのと同時に、自分の世界も大きく変わった様に思います。
会長に教えて頂いた音源の数々は、今でも家宝として、大切にしております。
Liveも思い出に残るものばかりで、質の高い音楽を肌で感じ体感できた事にも感謝しております!
武田ゆみえ(元ラジオパーソナリティ)
鈴木雅史(山形新聞論説委員)
エイトル・ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」やダリウス・ミヨーの「屋根の上の牛」、あるいはアントニオ・カルロス・ジョビンの有名曲。ブラジル音楽とは一種フィルター越しの、セピア色の接点しかありませんでした。対照的に、同時代の色鮮やかなブラジル音楽の世界を教えてくれたのが「山ブラ」です。会長からは今年1年、山形新聞「日曜随想」にブラジル音楽についてご寄稿いただいております。創立20年の節目の年に、というのも不思議な縁ですね。
Yae(半農半歌手)
Yaeです。ショーロクラブさんと歌わせてもらってから、ずいぶん時が流れました。なんと偶然ですが、私も2020年は 20周年を迎えます。アルバム「On The Border」も10/7にリリースです。その中に「褐色のサンバ(canto das tres raças)」を収録しました。3つの民族の歌。境界線の上に立ち、音楽によって世界が平和の中で共鳴していくことを心から願いながら、歌い続けたいと思います。 また是非ご一緒できたら幸せです。山ブラ20周年おめでとうございます!
笹子重治(ショーロクラブ)
山ブラの第一回ライブが秋岡君と僕のデュオだった、というハナシを先日伺い、何だか嬉しかったです。大きいとは言えない地方都市で、これだけ充実した音楽をコンスタントに届けることが出来ていることは、本当に奇跡そのもの。それを実現してきた石郷岡御夫妻には、何度もライブを企画していただいているから、というだけでなく、一ミュージシャンとして、尊敬の念に耐えません。今後も、適切なペースを守って、長く活動と続けていただくことを祈っています。
しかし最近は、お酒の席で御夫妻にお会いする機会の方が多くなってきてるような気が。それはそれで、大変喜ばしいことではありますが。
伊藤葉子(333DISCS)
20周年おめでとうございます🎉
2003年にnaomi & goroでライブをやりませんか?とお誘いいただき、吉里吉里で演奏してからもう17年とは。(その時演奏に使った竹の枕、私の変なサインを見るたびに、なんとも言えない気持ちに(^_^;)捨てられないならすみません、持ち帰りますwww)。
噂の年越しイベントにはまだ一度も参加できていませんが、naomiがブログを書かせていただいたり、伊藤ゴローも何度も素晴らしい場所で、心のこもったコンサートを企画していただき本当に感謝しています。毎回美味しい山形名物も楽しませていただきました。(ゴローは菓道八右エ門の杏大福を、ライブ前に5個も!一気食いしていましたよねwww いつでも何個でも食べられると言ってました。ライブは杏大福の時期がいいそうです〜。)
それから英子さんの車事件、河野さん事件、あれこれ思い出してきました。でも、字数的にも内容的にも書ききれません。
ライブ会場と打ち上げでご一緒する会員のみなさまも、あたたかくて、たのしくて、いつも感謝しています!ありがとうございます。本当は今年も、、、だったのですが、また来年以降にということで、楽しみにしています。naomi & goroも久しぶりにレコーディングはじめています^^。
これからも、ともに歩ませていただけたら嬉しいです。
お体にもお気をつけて!
佐藤琢雄(河北新報社)
山ブラ20周年おめでとうございます!
僕が山ブラと出会ったのはわずか1年半前のこと。深夜残業の息抜きにとレコ屋のWEBサイトを漁っていたら「GUINGA & MONICA SALMASO JAPAN TOUR 2019 in山形」のニュース。「in 山形」の文字に目がくぎづけに…。本当に山形で?山形県とブラジルの交流事業の一環かしら?…などと調べてみると、山ブラというボランティアで集まったメンバーがさまざまなアーティストを招聘しているらしいとわかって、これまたびっくり!隣町・仙台にくらしていながら、どうしてもっと早く山ブラと出会えなかったのだろうかと、自分のアンテナの低さにガッカリすると同時に、これからまだまだ沢山の素晴らしいLIVEに出会えるのだ!というワクワク感も!
会長、副会長をはじめとする皆さんの情熱と行動力と人柄に敬意と感謝を申し上げます。今後の活躍もとてもとても楽しみにしています。
中村 善郎(ボサ・ノヴァ・アーティスト)
おめでとうございます!
山ブラ20周年ですか…初めて小さなライヴハウスでお世話になったのがそれくらい前だったような…
その頃もう山ブラと云う会になっていたのですかね?
石郷岡ご夫妻にはお世話になりました。あまりたくさんお話しをした記憶がないのですが…ハイセンスな趣味、静かな情熱を湛えた風情…印象に残っています。
ライヴ会場から見える山寺の風景とか…吉里吉里の美味しい蕎麦と日本酒をご馳走になったり…楽しい思い出がいっぱい。
これからも変わらずお元気でご活躍を期待しています。
宮坂不二生 (ボサノヴァ・レコード事典/東北・夢の桜街道推進協議会事務局長)
山ブラ20周年おめでとうございます。
私が転勤で山形に勤務していたころ、趣味の「ボサノヴァ・レコード事典」発刊の新聞報道がご縁で、石郷岡様ご夫妻にお声をかけていただいて以来、20年近くが経過しました。時がたつのは早いものです。この間の山ブラの急速なご発展には目を見張るものがあります。
2007年にJoão Donatoが来県したのにはビックリしました。石郷岡様ご夫妻のお人柄やたゆまぬ努力により、山ブラが成長し皆様に愛され続けていることに、心より敬服しております。
現下のコロナ問題を克服して次の30周年をさらに元気で迎えられるよう、山ブラの皆様のご健康とご発展を祈り上げます。
安井 源之新 (パーカッショニスト・プロデューサー)
山ブラ20周年に寄せて
20周年おめでとうございます。
立ち上げも大変ですが「継続する」と言うことは本当に大変です。良くぞ続けてくださいました。凄いことです!
思えば山ブラ発足時に私はブラジルに居り、ネットで山ブラを知り、山形にものすごい審美眼を持つ方が居らっしゃることに衝撃を受けました。
当時日本の23倍の国土を持つブラジル各地を巡っていた私は「そう言えば日本も良く知らない処がいっぱいある」ことを思い、何かの縁かと思って山形を訪れたい旨メールしたところ会長ご夫妻に快諾頂き訪れたのが最初かと。かいちょと超美人の英子さんにすっかりお世話になり、遅咲きの桜も眺めパンデイロ教室もセット頂き、美味しい処へも連れ回して貰い、何故か髪まで切って帰伯したことを覚えています。
その後、パンデイロ教室や幻のEspírito 、Saigenji、結成時にかいちょご夫妻に東京まで観にきていただいたFONTE、助川太郎、土井徳裕、Beto Caletti、Ciquinho等、ヴァラエティに富んだコンサートで大変お世話になりました。
今やブラジル音楽をも超越し、幾多の音源を聴き込み美意識を深められたかいちょの評論やブログ等には教えられること多々あります。
かいちょ夫妻を含め、多大な労をとられている山ブラ会員の皆様に改めて御礼申し上げます。
益々のご発展を祈念いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
山上周平 (SPIRAL RECORDS)
20周年おめでとうございます。
この20年で山ブラの皆さんの真摯な姿勢、静かな情熱は、極めて透明度の高い、宛らアジールのような、日本屈指の音楽の場所を作り出されたと思います。
僕もまたその場所に関わり、あの祝祭的とも言える夜の宴に加わることを、切に願っています。
武田 吉晴(作曲家)
20周年本当におめでとうございます!
会長の石郷岡さんをはじめ、良質で個人的にも本当に好みな音楽の紹介をしてくださって、いつも楽しませてもらっています。
ライブの企画では2019年のギンガ&モニカ・サウマーゾの山形の文翔館での公演は、今でも思い出しただけで涙ぐんでしまう、一生忘れられないであろう素晴らしい時間でした。ありがとうございました。
この状況が収まって、また山形でライブを観れることを切に願っています。
僭越でございますが、貴重な活動を20年間続けられてきたことに讃辞をお送りしたいです。
これからもYama-braを応援していきます。
江利川侑介(ディスクユニオン)
山ブラ20周年おめでとうございます。実はまだ山形未経験という幽霊会員の身で恐縮ですが、心からお祝い申し上げます。
20歳が40歳になるほどの年月ですから、20年って凄いですよね。山ブラで体験されたことがそのまま音楽人生になっている方もたくさんおられることでしょう。実際に「うちは山ブラの●●支部です」という話を、音楽業界でバリバリ働いている方から聞くこともしばしばで、新旧の南米音楽が日本でここまで愛されているのは、山ブラあってこそと改めて実感します。
今春のレオナルド・マルケス山形公演は、このコロナ禍で残念ながら中止となってしまいましたが、状況が変われば再度企画・実現しましょう!ここからまた30周年、40周年と歴史を刻む一助となれば幸いです。これからもどうぞよろしくお願い致します。
蟻塚 学(建築家)
山ブラ20周年おめでとうございます。
山ブラハウス(?)も皆さんに使ってもらえてとても嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
越前 良平(Echizen Guitars)
20周年おめでとうございます!
会長ご夫妻をはじめとする山ブラのみなさんの音楽への情熱と温かいおもてなしには毎回心を打たれます。山形がより身近で特別な場所になりました。
美しい音楽を通して育まれる輪がこれからも末永く広がっていくことを願っております。
中原仁(音楽・放送プロデューサー)
石郷岡会長ご夫妻と初めてお会いしたのは2000年、宮城県白石のカフェ・ミルトンで僕がやっていたブラジル音楽の映像&トークレビューの時。その後、間もなくYama-braを創設され「Noite do Brasil」と題する映像&トークレビュー(何度かはDJ大会)を企画して毎年、呼んでいただき、僭越ながら音楽家でもないのにYama-bra企画主催イヴェント最多出演回数となった。制作スタッフとして随行した比屋定篤子 with 笹子重治、モレーノ・ヴェローゾ・ソロツアー、私用での訪問も加えれば、20年で25回以上の山形詣は僕にとって、盆暮れの帰郷にも等しい定例行事だ。山形新幹線で福島から山間を抜けて見通しの良い盆地が広がると「来たあっ!」という思いで少年のように心ときめく。この思いを毎年、感じ続けたい。
中島ノブユキ(音楽家)
山ブラ主催のコンサートには自分のソロも含め何度か出演させていただき、そのどれもが思い出深いものになっています。2010年、山寺での『中島ノブユキ / スモール・アンサンブル』コンサートでは強風のため新幹線が止まり会場入りが本番開始直前になるというハプニングがありました。急遽仙台駅から乗ったタクシーからの風景は(不思議なことに)いつまでも忘れられません。夕暮れの鈍い光。静かな時間に帳が降り。山々の美しい稜線...。終演後の打ち上げに主宰者の石郷岡さんが持っていらしたのは「本日の公演中止のお知らせ」の看板。僕らが到着できないことを覚悟し急遽作成したものとのことでした。今では笑い話(?)として語られるこういった出来事も、山ブラ20年の歴史にはいくつもあったのではないかと推測します。20年、これは偉大な歴史。素晴らしい時と機会を私たちに与えていただきまして本当にありがとうございます。
根岸吉太郎(映画監督/東北芸術工科大学理事長)
山ブラ20周年おめでとうございます。東北芸術工科大学に着任して山形に通うようになってから十三年になりますが、この間、山ブラがない私の山形ライフを考える事はできません。
山形に来る前からボサノバについてググるとすぐに現れる「山ブラ」は気になる存在でした。伊藤ゴローさんに山形に行くんだけどって話すと、会長の石郷岡さんが美味しいと言っている台湾料理屋があるよと、前の店舗の台湾你好を教えてくれました。その後どうやって会長や皆さんと交流するようになったか記憶が確かではありませんが、ブラジル音楽に繋がるために、山形に来て最初にあの異常に細長いカウンターで台湾料理を食べたこと、美味しかったことを思い出します。
山ブラ主催のコンサートの素晴らしさや、続けて来た努力への称賛はもちろんですが、必ず濃密な打ち上げがありミュージシャンと直接会話できるのも山ブラならではの素晴らしいことで、またそこでギターやパンデイロを手に取り歌ってしまう彼らのラテンのりも「山ブラ」の温かさがそうさせるのでしょう。カルロス・アギーレをはじめとして何度も目の前で歌ってもらった至福がありました。Obrigado
山形の山に沈む夕日、そこに吹く風、彼らの紡ぎ出す音、この地で溶け合っています。
ぜひとも次の20年続けて40周年を目指してください。
私がもしも奇跡的に生きていれば90歳ですが記念のコンサートに参加したいと思います。
山ブラのTシャツを着て。
岩井 天志(東北芸術工科大学 教授・クリエイティブディレクター)
山ブラはブラジル音楽を中心とした素晴らしいミュージシャンとの出会いと文化を長きに渡って山形にもたらしてくれています。
石郷岡ご夫妻のミュージシャンとお客さんへのリスペクトの姿はいつもまっすぐで愛に満ちているなあと。この姿勢が長きに渡る活動を支えているんだなあと感じます。
山ブラがなかったら山形は少しつまらないところになっただろうなと思います。
マツモニカ
山ブラの招聘能力、情熱、ホスピタリティは、まさに驚異的の一言。私も、まんまと巻き込まれ、大変お世話になりました。その源である石郷岡さんの好奇心はとうの昔にブラジル音楽を飛び越え、何処まで行くのやら。これからも楽しみです。
那須ミノル(reallocal ライター)
じぶんたちの愛するものを信じるちから。じぶんたちが大好きなひとを山形に呼んじゃうちから。じぶんたちにとって最高な時空間をつくりあげるちから。その姿勢、その突破力、そのクリエイティビティにいつも勇気づけられます。ほんとうに素晴らしい! 20周年、誠におめでとうございます!
渡辺 亮(パーカッショニスト / 画家)
20周年おめでとうございます!
2000年、故ジョゼ・ピニェイロと伺って以来丸々20年、長い間のご縁に感謝いたします。
尿道結石のため救急搬送された直後の河西町でお会いした時のことも、今となっては懐かしく想い出されます。
そして、妖怪画集の新作を、毎回楽しみにしていただいているのを、本当に嬉しく思っています!
益々のご活躍を、お祈りいたしております。
今後共、どうぞよろしくお願いいたします。
早坂実 ((株)サンセットスタジオ 代表者)
山ブラさんの20周年に寄せて
山形ブラジル音楽協会さん創立20周年おめでとうございます。
2000年の活動開始以来、東北・山形のみならず、全国的にも注目される活動をお続けになって来られた石郷岡さんご夫妻はじめ会員の皆様に敬意を表するばかりです。
通称“山ブラ”の愛称で親しまれる山形ブラジル音楽協会さんの活動は、立案される企画の斬新さ・実施に際しての機動力共々、常に高いレベルを維持されていて、その活動がここ山形市を拠点に展開されていることは、つゆぞ令和の現在に至るまで日本史の表舞台に出たことが無いながら(無いから?)、ユニークな独自性ある文化を育んできた山形という土地にこそ相応しいようにも思います。
Web通信によって世界中の情報が瞬時に拡散されるこの時代だからこそ、山ブラさんと山形の立ち位置はますます貴重なものとなって行くことでしょう。それはまさにメガと呼ばれる規模ではないが、唯一無二のものを持って発信し続けるマイクロインフルエンサーとしての存在価値そのものです。
私は、山ブラさんに公演の際の音響設備、時には開催会場としてご利用をいただく業者としてお世話になりながら、たくさんの珠玉の音楽を体験させてもらって来た“不純な関係者”であります。こんな私が公演の印象を語ってはならないのかもしれませんが、山ブラさんの20周年のお祝いの機会に便乗してお許しをもらって申し上げると、Veronica Ferriani・Andre Mehmari・藤本一馬&伊藤志宏の3つの公演は特に強く印象に残っています。
これぞ高品質・唯一無二の音楽パフォーマンスの数々でした。
これからも、私のような不純な音楽ファンの予想をはるかに超え、その期待を良き方向にしっかり裏切っていただきながら(笑)、貴重な発信源として活動を続けてくださいますようにお願いいたします。
山ブラさん20周年おめでとうございます。そして今までありがとうございます、またこれからもよろしくお願いいたします。
高橋悠(KAKULULU)
渋谷センター街にHMVがあった時代「素晴らしきメランコリーの世界」というコーナーがあり、暇を見つけては試聴機で聴きあさり続けていた。美しき音楽は全てここで出会ったと言っても過言ではないです。yama-braがなければ、アトリエセツナとの出会いもなく、今の形のKAKULULUではなかった。出会いは音楽、音楽は出会い。益々のご発展を!Parabéns!
小野リサ
山ブラ20周年おめでとうございます。
山形の地から遠く離れたブラジルへの音楽の魅力を多くの方々に伝えてくださりとても嬉しく思っております。
様々な国の文化の融合の中で生まれたブラジル音楽はたくさんの種類の音楽があります。ブラジルの大地の中で、人々の心の叫びや苦悩の中そして喜びから生まれたものです。
日本にもたくさんの伝統音楽があります。
もしかしたら日本の音楽の研ぎ澄まされた流れとは対照的に感じられるかもしれません。
心を震え立たせるリズム、サウダージという郷愁を感じさせてくれるメロディーは、さりげなく囁やくだけにその思いをより一層深めてくれるます。
ブラジル音楽の私の大好きな所は太陽の日差しをたっぷり浴びた明るさと、それがいつまでも続かない寂しさがある所です。
幸せと言う終着駅に向かって走っている列車のように、ガタンゴトンと音を鳴り響かして大きな窓から見える景色は移ろう人生を物語り、そのリズムとメロディと言葉で慰めて、癒して、心を浄化してくれます。そしていつかその旅が終わってしまうと言っているように思います。
ブラジル音楽を長い間応援くださり本当にありがとうございます。😊
コモブチ キイチロウ(バンドマン)
山ブラ20周年おめでとうございます!
2004年6月ミナスイングコンサート以来、山形に訪れる際は何かにつけ本当にお世話になっています!(特に健康面はいつも笑)
20年の経過には驚きです。プラッサも閉店、かつてのバンド仲間も大勢あちらの舞台に行ってしまいました。
今迄、蕎麦や酒、肴の事も沢山教えて頂きましたが、最近では特に中南米音楽の情報も勉強、参考にさせてもらってます!いつもパワーの発信をいつも有難う御座います!
ガッタハウス(gatta house)
山形ブラジル音楽協会20周年おめでとうごいます。
私たちが手がけている地域文化情報フリーマガジン「gatta!」において、これまでにも様々な「yama-bra」公演情報を掲載させていただきましたが、小誌の編集部にも「yama-bra」の活動に魅了され、毎度公演を心待ちにしているスタッフもおります。「yama-braをきっかけに初めて山形に来た!山形よかった!」そんなエピソードがこれからも増え続けてゆきますように。
比屋定篤子(シンガー・ソングライター)
山ブラ20周年!!おめでとうございます!
笹子重治さんとのデュオで初めてお世話になったのは17年前になるようです。そんなになるのかとびっくりです。素敵な素敵な会場、文翔館で歌えて幸せでした。最近はお会いできておりませんが、お体に気をつけて!また、山形の温泉、音楽、蕎麦、を楽しめる日を夢見て。
これからも山ブラ発の上質ライブを楽しみにチェックします!
haruka nakamura(音楽家、青森出身)
山形への手紙
新幹線・つばさは速度を上げて、こころ懐かしい場所へ北上していく。
山形。
この土地の思い出の全てはyama-braの皆んなの笑顔で鮮やかに塗り尽くされていて、思い出すとこちらも自然と笑顔になる。沢山の楽しい思い出が、8ミリフイルムのようにコマ切れに、瞼の裏に浮かんでくる。
山ブラチームの皆んなや、出演者も全員で毎回必ず行く二軒目の「台湾ニーハオ」での宴。修学旅行の同級生たちのように、本当に楽しい夜を何度、過ごしたろうか。演奏会を無事に終えて安堵した皆んなのあの笑顔の中で、どれほどの乾杯を交わしたろうか。全ては会長夫妻の、音楽や仲間たちへの大きな愛の輪の中にある。
「文翔館」という素晴らしい重要文化財をホームグラウンドに、何度も演奏会を制作して頂き、沢山の演奏仲間が山形を好きになっていった。
青森が故郷の僕は、東北は何処も帰る場所のような感覚だけれど、山形は特別な場所。それは土地にyama-braの皆んなの顔が浮かぶからだ。
音楽を本当に好きでいてくれる人達が待っていてくれるから。
yama-braは20周年。長い間、音楽を守ってきてくれてありがとう。心から感謝します。
20年前、僕は北国から音楽をするために上京した。
北へ向かう思い出の車窓の情景は、いつも音楽のある風景が流れている。
ラティーナ(月刊ラティーナ から e-magazine ラティーナへ)
20周年おめでとうございます!
他の多くのコンサート制作者も同じ気持ちだと思いますが、yama-bra さんでコンサートができることは、とても恵まれた機会で、音楽家たちも満たされた気持ちで山形を後にしていきます。
昨年は、ギンガ&モニカ・サウマーゾ JAPAN TOURと、トニーニョ・オルタのコンサートを催していただき、今年も何件かご相談していましたが… コンサートや招聘ができる状態になれば、誰を最初に呼びましょうか、yama-braさん ? 皆さんが音楽に集中する姿が目に焼き付いています。
吉川 拓志(saule branche shinchõ)
山形が大好きな理由には
ヤマブラの存在を何よりも先ずあげなければ始まりません。ムジカボニータである僕にはライヴというのは最高のアフェアー。山形へ向かう目的はほぼヤマブラに行くといっていいでしょう。車での道中はこの上ないリスニングと景色。素晴らしいわらび餅、蕎麦、友人と会い美味しいお酒も少し。山形への旅は、いつもただただ楽しい時間でしかありません。ヤマブラの企画は最高の音楽はもちろんの事、旨いハムやパンまでも僕にもたらしてくれます。
ヤマブラ20周年、おめでとうございます。
素晴らしいセレクションとその功績の歴史はその名はズッシリと響かせる。僕にはMUSICA BONITAはヤマブラのアイコンであり良質なインディーレーベルと同じような存在です。
荒木真(音楽家・サクソフォン奏者)
山ブラの皆さんと山形の風土に触れ、生まれて初めて「水が合う」という言葉の意味を理解しました。
祖母が山形出身で自分にその血が流れていることを感じた瞬間でした。
素晴らしいご活動を20年も継続されてきたことに、心からお祝いと感謝を申し上げます。
八尋 知洋(パーカッショニスト)
山形ブラジル音楽協会が今年設立20周年を迎える、これはめでたい事である、おめでとうございます。
会長を務める石郷岡学さんとアシストする奥さん、一言で言わせてもらえるなら「くせ者ご夫妻」である。あのブレなさすぎる正義感やこだわりはユルユルでハッピー!な感じのブラジル音楽よりクラシック音楽や昭和の黙って聴くジャズ、タンゴ愛好家に多いタイプだと初めてお会いした時から思っている。
正直ややっこしそうだから、余り深くはお付き合いはしていないがヤマブラは私が自己主催する海外組みとの活動をいつもこころ良く受けて入れてくれる。今や完全に崩れ去った東京発信の偉そうな音楽業界無き後でもしっかりと日本ツアーサーキットの大切なワンポイントとして沢山の来日一流ラテン・ワールド系のミュージシャンを一番大切な愛❣️を持って支えてくれている。ありがたや〜ありがたや〜❗️
最近はご無沙汰しているが、又「石郷岡さーん、○□○とツアーするからお願いできますか?」と連絡入れる事もあるだろう、そして又超美味しい日本酒と食事を共にすることでしょう。
こんなストレートなコメントで怒んないでくださいね。
感謝しております、今後とも宜しくお願いします!何より20周年おめでとうございます!バンザーイ‼️
翁長 巳酉(Punga Ponga)
山形ブラジル音楽協会20周年おめでとうごいます。
東北のブラジル音楽親交と発展に尽くした。イシゴオカさんやスタッフの皆さん。心から感謝をお伝えします。
Parabéns pelo seu 20º aniversário do YAMABRA. Sr. Ishigooka e toda a equipe. Agradeço Dedicado à amizade e desenvolvimento da música brasileira em Tohoku.
バランサ
20周年おめでとうございます!あの頃のバランサはまだ大人数の編成でした。ライブして呑んで、また歌って。。まるで合宿のようにワイワイ楽しかったなぁと山形での日々を懐かしく思い出しています。山形からのブラジル音楽の発信という心意気、いつも陰ながら応援しています。益々のご発展を!!
林伸次(Bar Bossa)
山形の特産物って何なんだろうと思って、検索したら、ベスト3が玉コンニャクとだだちゃ豆とさくらんぼなんですね。山ブラ20周年とのことで、山ブラがベスト4に入れるんじゃないでしょうか。山形に山ブラあり。20周年おめでとうございます!
秋岡欧
ずいぶんと経ちましたね。長いような短かったような。でもあの頃の私達は今よりずいぶん若かったような気がするし、気がつけばたいそうなTシャツコレクターになりました。関所が開いたら蕎麦屋酒でお祝いしましよう。
花田勝暁(編集者、コンサート制作
yama-bra ── 美しい音楽への共感で繋がる奇跡のコミュニティー。日本にyama-braがあって良かったし、個人的にも、一緒にお仕事をさせていただく時間は、かけがえのない経験として心に刻まれています。
2010年(10年前!!?!)に、会長にインタビューした記事がこちらにまだ載っておりますが、会長の音楽を語る丁寧な言葉は、いつ読み返しても至言。https://ototoy.jp/feature/20101023
藤本一馬(ギタリスト、コンポーザー)
祝、山ブラ20周年!
長きにわたり心のこもった音楽をみなさんに届けられてこられてきた山ブラさんの活動、とてもリスペクトの想いです。
僕も山形での演奏で共有させて頂いた素晴らしい時間がとても心に残っています。
そして山ブラTシャツやトートバックもお気に入りで愛用中です。
これからも益々の発展、そして末長く山ブラさんの世界観が続くことを楽しみにしています。
沢田穣治(音楽家)
ショーロクラブ の東北公演では愛想の無いおじさんバンドを見捨てず毎回素晴らしい会場でのサポートで長年支え続けてもらっています。ほんと感謝です。
そして気がつけば20周年ということで、思い出を振り返れば感慨深いものがあります。
これからも東北の地に素晴らしい音楽を届け続けてもらえたら最高に幸せです。
あらためて山ブラ20周年おめでとうございます。
小畑和彦(ギタリスト)
山ブラ20周年おめでとうございます!
私自身も何度か演奏させて頂きましたが、何よりブラジルや中南米の素晴らしいアーティスト達を山形で紹介するという活動は凄い事です。
これからも20周年30周年を目指して活動していただく事を期待しています。
ゼジ(サンバタウン)
いまだメジャーとは言いがたいジャンルである「ブラジル音楽」なるものの普及活動を、山形という、県全体で人口100万そこそこの、あまりにロケーションの不利が際立つ東北の地にあって、非営利で20年間継続するというのは、仮にもかつてその道のプロとして店舗を運営していた身としては、気が遠くなるほどの偉業と申し上げる他ありません。ただただ敬服あるのみです。あともう一言だけ言わせて下さい。山形最高。もう11年も行けてません。というわけで山ブラ関係者の皆様に心からの祝福を。Yama-bra pra sempre!!
竹中俊二(ギタリスト、サウンドプロデューサー)
山ブラの皆さんへ。
僕が初めて山形へライブに行ったのは2004,5年頃では無かったか?
あたたかく迎えて下さった事をとても良く覚えて居ます。
それから何度か伺う度に美しい風景と食べ物の山形と山ブラが永遠に変わらずそこにある様な気持ちになりました、またそこに帰りたい気持ちでいっぱいです。
山ブラ20周年おめでとうございます、山ブラ永遠なれ。