yama-bra 20º aniversário pagina 2
当会は今年(2020年)で20周年を迎えます。素人ながら皆様のご協力をいただいて今日まで続けることができました。
20周年を記念して、当会ゆかりのアーティスト、音楽関係者にメッセージをいただいております。
暖かいお言葉、ありがとうございます。こちらで紹介させていただきます(敬称略)。
今後徐々にアップいたしますのでお楽しみに。新しいメッセージが上に来ます。
(ありがたいことにたくさんのメッセージをいただいております。ページを2ページに分けました。→ page 1 へ。)
青木隼人(音楽家)
山形には音楽の観測所がある。地球の裏側から発せられた音の波をキャッチして、ぼくたちの耳に報せてくれる。文翔館のホールの天井や椅子、そして山形の街にはいまでも、遠くから旅をしてきた美しい波紋たちが舞っている。
山形ブラジル音楽協会 yama-bra 20周年をお祝いして
佐々木浩行(ボーノ・シェフ)
山ブラさん、20周年おめでとうございます。ともに、歩んできたような気がします。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
古林玲(ボーノ・マネージャー)
石郷岡学会長、英子さん、
山ブラ会員の皆さん、
山ブラ20周年おめでとうございます。当店と山ブラさんとのお付き合いは、設立当初からに始まり、打ち上げで、これまで何度もご来店いただきました。
いつも皆さんリラックスされて、楽しそうに交流されている姿が、印象的です。
それは、演者、聴者、国籍、年齢を超えて、音楽を愛するひとつの気持ちで繋がっているからなのだなあと、いつも感じます。
そして、それは一重に会長と英子さんの、皆さん全員に、楽しんで喜んでいただきたいという、
細やかな配慮、念入りな準備強い思いがあるからこそなのだと思います。
ボーノも来年で25年目を迎えます。佐々木シェフがいつまで、二十人分のパスタの大鍋を振れるのか、わかりませんが 笑
これからも、皆さまに喜んでいただけますように、
山ブラさんと、ともに、30周年、35周年、40周年
❗️❗️❗️と迎えられるよう、がんばっていきたいと思っております。
岩川光(音楽家:ケーナ奏者・作曲家)
同郷であるという、ただそれだけの共通点を頼りに、唐突に不躾なメッセージを石郷岡会長に送った時から、山ブラとのご縁が始まりました。当時、僕は24歳で、キケ・シネシとの最初のツアーを手探りで企画中でした。未だに年齢は信じてもらえませんが。
その山形公演の打ち上げ以来、一体どれだけの酒を一緒に呑んだことでしょう。美酒で酩酊するという贅沢を覚えてしまい、すっかり山ブラに山形での企画をお願いする動機の重要な一つとなってしまいました。
何かを20年続けるには並大抵でない情熱や愛情が必要なのは勿論ですが、そこにある種のしなやかさを持つことが大切なのではないかと、僕も今年芸歴20年を迎え、思っているのです。
これからも山ブラがゆるりゆるりと歩み続けてくれることを心から願っています。
宮ヶ迫ナンシー理沙(ギンガ&モニカ・サウマーゾツアー実現実行委員を代表して)
山ブラ20周年、おめでとうございます!Parabéns!!
個人的に山ブラで主催されたコンサートに初めて訪れたのは、カルロス・アギーレさんのソロコンサートでした。しんしんと舞う雪を文翔館議場ホールの窓から見ながら堪能したアギさんのコンサートは、特別な空気に包まれていました。東北地方のみならず遠方からも集うファン、そしてそんな場を準備された山ブラの活動に携わるみなさんの情熱がその特別な空間をつくりあげるのをそのとき目の当たりにしました。昨年企画したクラウドファンディングを含むギンガ&モニカ・サウマーゾツアーは、山ブラのみなさんのご協力なしには実現できなかったことと思います。山形県でのコンサートは、記憶に残るものとなりました。20年の活動を振り返られている投稿を拝見しながら、あらためて、積み重ねてこられたことのアツさを知りリスペクトの思いです。どうか、これからも美しい時を紡いでいってください。
松本亘(山形綜合舞台サービス部長)
山ブラ20周年誠におめでとうございます。会長夫妻との出会いは、会社の上司から居酒屋に呼びだされたことがきっかけでした。なんかニコニコした穏やかそうなおっちゃん(すいません)だなと感じたことを今でも覚えています。
そこから、いろんなLIVEの音響をさせて頂いて感じたことがあります。LIVEの会場がそれほど広い会場ではないことが多いわけですが、狭い会場のLIVE感っていいなぁと思うことでした。
街角でギターをつま弾きながら歌っているそばで聞こえてくるような感覚。プレーヤーとオーディエンスの距離感だと思うのですが、そこが素敵です。2,000人ぐらいのホールも魅力は有りますが、それとは違った魅力があります。
当然ですが生の音って凄く素敵です。マイクを通すとどうしてもそれが少し違うニュアンスになってしまうので、そこを自然にする作業が僕らの仕事だと思っています。より生の音に近づけること。それはスピーカーの存在を消す努力でもあります。プレーヤーの演奏になんのフィルターもかかっていないような音を届けることこそが音響の仕事だと教えて頂いた気がします。
これからも山形ブラジル音楽普及協会のますますの発展を願っています。そして、これからも宜しくお願いします。
城戸夕果(フルート奏者/ 作曲家)
山ブラ20周年!おめでとうございます!
笹子さんとのライブに皆さまに温かくお迎え頂いてから、もう20年も経ったなんて、本当に時の過ぎゆく速さを実感します。
その間に3つの大陸に引越しました。
FBに参加する様になり、日本のブラジル音楽はどんな風になっているか、山ブラのページを見ると伝わって来ました。会長のアンテナの鋭さに感謝です。
そして、日本を長く離れている私に、FBに会長から温かいコメントを頂いて励まして頂いた事も忘れられません。
山形の美味しいもの、名職人の技、こだわりのあるステキな人々。またお目にかかれる日を首を長くして待ちわびております。
稲葉昌太(インパートメント)
来日アーティストのツアーを企画するとき、白紙の日程表にまず書き込むのが山形。ここが決まらなければスケジュールが組めない、というくらいに大切な場所です。
カルロス・アギーレの初来日、ツアー初演の場所が山形でした。山形駅に降りたったカルロスを待っていたのが、大きな横断幕を拡げた石郷岡会長夫妻と山ブラのメンバーの皆さん。カルロスにとって、初めて日本で演奏する場所が山形だったことが、どれだけ大きな意味をもったことか。
すべては素晴らしいアーティストとその音楽のために。あと、その後の楽しい打ち上げのために。
20周年おめでとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします!
内田輝(音楽家/クラヴィーコード製作者)
山ブラ20周年おめでとうございます!
会長そして山ブラチームによって作り出される素晴らしい空気感はなんとも心地よく,いつも楽しく演奏できました。
世界中のミュージシャンが同じように山ブラの空気感を味わっていると思うと嬉しく、勝手に誇らしくなります。
これからも山形に音楽の光を灯し続けてください!
kei & chisako (そば吉里吉里 )
山ブラ20周年!おめでとうございます㊗️🎉
当店でも数々のライブを開催していただき、
沢山のアーティストと会わせていただき、
音楽をとおして、沢山の楽しい思い出をありがとうございます😊
今後も益々のご活躍を期待しています
伊藤ゴロー
石郷岡夫妻との出会いはいつだったのだろうか?
確か高田馬場にあるコルコヴァードというライブハウスだったと記憶しています。たぶんね……。
会長とは同郷(青森)ということもあって意気投合!「ブルジル音楽」というマニアックな世界の同志となった。
すでに20年前の話し、ずいぶんと時間がたったものです。
いつも僕のことを気にかけてくれて、naomi & goro や moose hill のリリースしたときはすごく喜んでくれて、みんなに勧めてくれたりして、うれしかったな~。
僕の山形初ライブはnaomi & goroで、しかもなんと吉里吉里、Facebookにその時の写真がアップされていてびっくり!
伊藤ゴロー名義のライブは2014年が最後、なんか毎年いってライブしているような気がしていたけど、それくらい僕には親しみのある大切な人たちで特別な場所なんです。そんな石郷岡夫妻が築き上げた山ブラは知る人ぞ知る、と言うより東北のライブの拠点となった、すごい!
山ブラの話ができるアーティストが世界中にいるわけです。書き始めたら色んなことが思い出されて止まらなくなってきましたが、
ご夫妻の健康と益々のご活躍を願っています。
来年はライブするぞ!と決めています!おめでとうございます。
布施尚美(naomi & goro)
石郷岡さん、英子さん
20周年おめでとうございます。
naomi & goroで最初にKIRIKIRIで演奏して、もう17年も経ってしまったんですね。
ミュージック昭和、Vigo FM、文翔館、山寺、あんず大福。懐かしいです。
いまnaomi & goroもアルバム作り始めています。
またいつか山形でも演奏したいです。
山ブラが、これからも30年、40年と続きますように。
根本理恵(ヴァイオリ二スト/音楽家)
山ブラ20周年、おめでとうございます。
私は、2013年、2015年に、haruka nakamura君のサポート演奏にてお世話になりました。
会長の石郷岡さんご夫妻を始め、スタッフの皆さまには、毎度、温かいおもてなしや、Live後の熱い打ち上げ、翌日の観光まで、思い出は盛り沢山◯
皆さまと過ごさせていただいた時間は、いつまでも色褪せることなく、佳き思い出として心に残り続けています。
山形を盛り上げようとする熱い想いは、こちらにも伝わり、本番で良い音出したいなぁとポジティブな気持ちにさせてくださいます。
山形といえば山ブラ!
皆さま、これからもどうぞお元気で、益々のご発展をお祈りしております。
感謝を込めて。
江藤有希(ヴァイオリニスト/作編曲家)
山ブラ20周年、おめでとうございます!
私がショーロに興味を持ち、演奏し始めたのが2000年頃、当時、ブラジル音楽の貴重な情報源だった「LATINA」やフリーペーパー「MPB」などで、山ブラのこと、会長のお名前をしょっちゅう見かけていました。
山形ブラジル音楽普及協会。
ブラジル人アーティストを検索したときに、いやに山形公演の情報がヒットする。
そういえば、日本人アーティストも山ブラ公演の情報がよくでてきました。
いったい、どんな協会なのだろう。。
2005年、コーコーヤで活動するようになり、笹子重治さんから山ブラのことを詳しくお聞きし、ついに、ツアーでもお世話になることに。そして、知りました。その実態を。
石郷岡さんご夫妻の、音楽への愛情、音楽を愛する人への愛情は、ちょっと他では見られないくらい、強いと思います。
そして、公演を成功させる為に、出来る限りのこと、あらゆることを尽くしてくださる。この成功とは、滞りなく当日を終える、というような生やさしいものではなく、きっちり宣伝・集客し、出演者が演奏に集中できる環境をつくり、聴いたひと、スタッフも、演奏したひとも本当に心から満たされるような場をつくれて初めて会長さんご夫妻は喜びを感じられるのではないか、と、僭越ながら想像しております。
コーコーヤだけでなく、ハシケン×江藤有希でもお世話になり、ジャンルが何であろうと変わらず、良いと思えばとことん応援してくださり、メディアへのご紹介も一過性でない形で、誠実なコンサート制作をしていただきました。
本当に、どれも忘れられません。いつも美味しいお店にお連れいただきましたが、山形って食べ物が異常に美味しい!という説と、会長のセレクトするお店が異常に美味しい!という説のどちらだろう?といつも思います。
昨年のギンガ公演は、私は仕事で行けませんでしたが、夫と義両親がコンサートに感動し、会うたびに山形の話をしていました。
そんな場をつくれるなんて、やはり、凄いと思うのです。
そこに集われる会員の皆さまもまた、ものすごい熱量をもって山形公演のために結集される。
さて、冒頭の部分を書いていて思い出しましたが、光栄なことに、私の演奏活動も今年で20年。
うれしい偶然であり、そのような機会にこうしてお声をかけていただき、本当にうれしいです。
会長ご夫妻、会員の皆さまと、また元気にお会いできる日を楽しみにしております。